名も無き〈中のもの〉

 

      あなたの呼ぶ声が わたしの耳元までとどく
      あなたの歌声が 耳の中をゆらす

 

耳の中なのか、頭の中なのか、心の中なのかで、ここのところずっと聞こえている歌のタイトルはなんだろう……。佐藤幸雄に尋ねると、「名前はまだない」と人間言葉を操る猫のような答え。すでにライヴで5回か6回はうたわれているのに。歌に名づける意味などないとでも思っているのだろうか。
しかし、ひとたび歌を受け取って、自分の〈中のもの〉にしてしまった聴き手は困る。この歌。耳の中なのか、頭の中なのか、心の中なのかで鳴り続けている歌。名もなく、レコーディング(記録)されてもいないから繰り返し聴いて確かめることができず、記憶を反芻するしかない歌。メロディも歌詞も生まれたての赤ん坊のように毎回ふにゃふにゃで、簡単に形を変えてしまいそうだ。輪郭をへんてこに変えて、だんだん色も薄くなって、やがて記憶の中から消えてしまう日も来るかもしれない。佐藤幸雄がこれまでに演奏してきた、たくさんの名前のない歌や曲や、それらの断片のように。

 

      この耳のそばまでは あなた
      この耳の中までが あなた
      それとも そのふるえている喉
      その喉元までが わたし

 

たとえ断片だとしても、自分の〈中のもの〉になるのは、きっとそこにとどめておきたいからだ。そこに歌がとどまるからだ。佐藤幸雄の歌や曲や、それらの断片に、突き抜けたあかるいものをわたしは見る。最近とくに見る。POP鈴木(dr.)、藤木弘史(pf.)との3人のバンドになってから。
突き抜けたあかるいものを、ひかり、と呼んでもいいかもしれない。言葉やメロディが雪の結晶のかけらとして舞い落ちるとしたら、そこにあたってぴかっと反射させるひかり。
ひかりがひかるために必要なものは、なにも漆黒の闇ばかりではない。見た覚えがあるはず。びょうびょうと吹く風にまみれてチラチラとひかるもの。生い茂る草むらの奧で鈍くひかるもの。むうっとする夏の真昼間に白くひかるもの。五月の風の中で流れるようにひかるもの。

      あなたのまなざしが 瞳の中にうつる
      わたしのまなざしが あなたの瞳にうつる
      あなたとわたしの間に 深い川があるとしても
      あなたの姿が見える この目の前までがあなた

 

POP鈴木の太鼓は風である。かつて、21世紀に佐藤幸雄が再び演奏をはじめたばかりの頃、どっどど どどうど どどうど どどう、というPOP鈴木の太鼓が地面から風を巻き上げるようにして近づいてはじまる曲があった(あれもまた名前のない歌の断片だった気がする)。
どっどど どどうど どどうど どどう、はあくまでも既存の童話の中に文章で刻まれた風のリズムだけれど。2014年6月からの(いったい何があったのだろうか)POP鈴木の太鼓は、そんな生やさしい二次元の風ではない。おとなしく凪いでいたかと思うと、いきなりそそり立ってパタパタパタパタと暴れまくり、次元の壁を突き破る。時間の流れや、空間の縦や横や斜めの広がりさえもメタメタにねじ曲げておいて、めちゃめちゃに縫い合わせる。お行儀がいいのか悪いのか。破壊でも再構築でもない、なにものでもない風の爆発。そこにあるのはきっと怒りだ。
藤木弘史の鍵盤は空気である。匂いや温度や密度を支配する空気。美しいメロディで春の野原みたいな広がりを見せるのも、幾重にも内向していく旋律で狂気を帯びるのも、彼の叩く鍵盤の色あい次第。ときには溶けて、大崩れそうになったりもする場を形づくる。見える景色や見えない景色を織り広げる。
藤木弘史について、少し説明しておかなければ。2012年7月8日の『POP鈴木祭り』は、佐藤幸雄が(円盤で公開練習を重ねるさなかに)約20年ぶりに興行として演奏する初めてのステージだった。出演するバンドすべてでPOP鈴木がドラムを叩くこのライヴ企画の、トリに登場した『POPLAND OFF GALLERY』で、鍵盤を叩く藤木弘史を佐藤はこのときほぼ初めて見聴きした。演奏が始まるや、あやかしのメロディをものすごいスピードで疾走させる藤木の姿に目が釘付けになった。傍らにいた友人の山田正樹が佐藤にささやいた、「この鍵盤、誰かに似ていると思ったら、マイク・ガースンだ」。デビッド・ボウイーの『Aladdin Sane』で、哀しみを抱いて、はずむたましいを“きざみ込んでいた”ピアニストである。
そして後日聞いた話。藤木弘史は都立新宿高校の学生だった約20年前、佐藤幸雄とPOP鈴木のバンド『絶望の友』のおっかけだったとか。そもそもPOP鈴木も、佐藤幸雄が弓削聡とふたりでやっていた『絶望の友』のライヴを見てドラマーを志願したので、「ぼくもPOPさんも『絶望の友』チルドレンなんですよ」と藤木弘史は言う。

 

      おひさまの光が ここまで届いているから
      ひなたはあたたかい
      あなたは冷たくなったのではなく
      水と空気とおなじになった
      あなたは冷たくなったのではなく
      風や空気のようにここにいる

 

繊細で乱暴で過激で、パンクロックみたい、と彼らの演奏を聴いて思う(あるいはプログレでもサイケでもいいのだけれど)。しかし、失意や怒りのはけ口だったパンクロックとあきらかに違うのは、彼らの演奏には“あかるいみらい”が立ちのぼるから。未来というより希望かな、どちらにしても資本主義経済の中で安易に使いまくられて、シンプルで大事なそもそもの意味を伝えにくくなってしまった言葉。でも、彼らの演奏を聴いて胸の中(腹の下かも)に染みてくるあかるいひかりのことを、端的に言い表す言葉をわたしはほかに持たない。
佐藤鈴木藤木バンド、彼らの演奏にはあかるい希望しか見えない。
40代後半から50代の男たち。社会生活の中では理不尽なことが多いし、労働はいつだってキツいし、人間づきあいも鬱陶しい。ましてや一触触発のエネルギーや火山を抱えながらも、ひとをひとと思わぬ奢りの昂ぶりでキナクサくなる一方のこの国。その中で、あかるいものを現し続けるのは、彼らがともに子どもを育てる父親だからかもしれないと思う。
佐藤鈴木藤木バンドの演奏を聴いて、ようやくわかったこともある。『絶望の友』というバンドの名前の意味するところ。わたしは聴いたことのないこのバンドの名前に、言葉の強さから、絶望を助長する友のようなイメージを持っていたけれど。そうではなく、絶望のかたわらに在る友なのだな、と。絶望と寄り添うひかりなのだな、と。
50代半ばともなると、古くからの友だちが死んでいく。佐藤幸雄がうたう歌にもその悼みが含まれることがある。哀しみを哀しみとしてうたうことを彼はしない。風や空気の中のあるひかりとして、彼はそれを演奏する。2014年12月23日(祝)、渋谷ラストワルツのステージでもきっと。

 

      あなたの呼び起こした うた
      あなたの呼びとめた うた            (白江・記)

 

 

12月23日(火・祝) 18:30開場 19:00開演
前売予約¥2,300  当日¥2,800 (ドリンク別)

ラストワルツ(渋谷) http://lastwaltz.info/

☆☆対バン:てあしくちびる。

http://lastwaltz.info/2014/12/post-13752/