二人会七回目雑つぶや記

愛し方のかたちはいっぱいある。この時、この場所、このひと、このひとたち、この風景、この食べもの、この音、この言葉、このまなざし、このかたち……。それらをどうしたら「愛してる」って言えるか、「愛してる」って伝えられるか。 via ついっぷる  2015.07.21 21:59

どうしたら「愛してる」って伝えられるか。体と頭と楽器とその他もろもろを駆使して、一回ずつ一瞬ずつ、それを模索しながら生きているのが、倉地久美夫という音楽家なのだな、と今ようやく自分の中でわかる。 via ついっぷる  2015.07.21 22:00 7月21日

愛し方のかたちはいっぱいある。いっぱいあるだけに、自分の愛し方を伝えるのはとてもむずかしい。相手にわかってもらえる保障がない。だからじたばたする。全身で。自分がそのときに考えられる(できる)あらゆる手段を使って。きっと倉地久美夫はずっとそういうことをし続けてきた、と自分の中で想う via ついっぷる  2015.07.21 22:04 7月21日

持ってきたカメラで。彼が撮った記念写真。彼が記念写真を撮っている、その場にいた者は、そこに写っている風景をきっと一瞬想像しただろう。それもまた、彼にとってはライブ(演奏)。そして、果たしてそこに写っていたものは? わかっていたけれど、泣きそうになった。人たらしだな、倉地久美夫。 via ついっぷる  2015.07.21 22:07 7月21日

ことばが場に溶ける瞬間を見た、と思った。たとえは悪いけれど、たとえば、たとえばですけど、ツナ缶をマヨネーズで伸ばすみたいに、その場の空気に、彼が発するそばから言葉が溶け出すのを見てる、と思った。佐藤幸雄のうたのことば。溶け出すのは、受け取り手がそこにいるからだ。 via ついっぷる  2015.07.21 22:11 7月21日

溶け出したそばから、「あらぁ、したたり落ちちゃう」と慌てて、たなごころ全開で受けとめる聴き手がいるから言葉が溶け出す。溶け出した言葉しか、聴き手たちの心身の浴する深いところには入らない気がする。夕焼けどき、まだ青が残る宙にオレンジが溶け出すように。深い、っていうかなんというか via ついっぷる  2015.07.21 22:15 7月21日

二人会は二度と同じがないのです。あたりまえだけど。奇跡のような音楽会。音楽というものが、なぜ二人に、一人に、大勢にある(必要)のかという根源から、ぐらぐらと揺るがされるような。揺るがされるのが苦手なひとは聴きに来ないだろう。でも、ぐらぐらはわたしにはいつだって必要。ぐらぐり、は via ついっぷる  2015.07.21 22:22 7月21日

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